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九州の山を歩いています~できるだけ多くの三角点を訪ねます♪


by nanase
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チラシに書いてる、あらすじ程度の知識で観に行きました。
なぜか、観たくて。

町の工場で爆発事故があり、町の住民は町から出られなくなってしまう。
閉ざされた世界で、日常を生きる。
感情が高ぶりすぎると、消えてしまう・・・
年も取らない、雪が降ってても寒くない、、
希望がない、、、
そんな世界で希望があるものに遭遇する。

アリスって人もテレスって人も出てこない。
???
あっ、アリストテレスだあー!!
哲学者アリストテレスの名言の中に、
「希望とは目覚めている者が見る夢だ」を発見。
映画のテーマはこれだろうか?
小説が出ていたので改めて読んでみたいな。

アリスとテレスのまぼろし工場 鑑賞_b0282042_15081937.jpg



# by tikuzenootomo | 2023-10-15 17:05 | 映画・観劇 | Comments(0)
雨は承知で出かけてみた。
10月の西鉄のカレンダーが白木峰高原のコスモスで、実際に見てみたかったから。
長崎県諫早市。

雨だし誰もいない😁

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五分咲きだったけど、十分綺麗でした。
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晴れてたらこんな感じ。雲仙が見えるそうだ。
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諫早には神社が多い。御朱印も凄い。
まだ伺ったことがなかった神社へ。

御館山稲荷神社。
小高い山を登っていくのだけど、入り口がわからなくてちょっと迷いました^^;
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御館山は1300年ほど前に、行基菩薩により霊峰雲仙と対になる霊山、五智光山として開基。
行基は百済王の末裔で仏教を広めた人だよね。
そっか霊山なんだ、だからなのかな 豊前坊があった。
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鎮西八郎為朝(源為朝)伝説がこちらにもあった。
為朝の館が山頂にあったので、御館山と呼ばれるようになったそうだ。

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山頂は標高99mで展望台もあるらしいが、雨なので行かなかった。

御朱印 種類が色々あって迷っちゃう(≧▽≦)

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阿蘇神社。
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1534年、伊佐早一円の領主だった西郷石見守が社を建て阿蘇大明神を祀ったのがはじまりだそうだ。
現在の阿蘇神社と同じ敷地にあったのでしょう。
興味深いのが、正法寺の住職が宮司だったこと。
1624年、阿蘇神社宮司の子息で正法寺住職の伝興法師が氏子と共に、現在の地に遷宮。
丘陵地に建つ神社は阿蘇の島と呼ばれていて、当時は島であったと。
地図を見ると川も近くだし、川の先は大村湾だし、河口にあった島だったのかも。。
1534年は戦国時代だから、大村湾沿いの丘陵地という立地は、何かの建物があったとしてもおかしくないかもな。。

秋桜 雨に吹かれて 長崎_b0282042_14231310.jpg
残念ながら御朱印は頂けず。。
お留守だった。お参りだけして、帰りました。

帰り道、小城でカレーを食べた。
ドライブイン一平、相変らず、ほんと相変らず込み合っていた。相変わらずの人気店。

神埼に立ち寄った。
行ってみたかった、わらび餅のお店があるから(´▽`*)
わらび餅専門店 門藤さん
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お値段はそこそこしますが、美味しかったです。
あっという間に食べちゃった^^

門藤さんの近くに大きな神社が見えたので行ってみた。

櫛田宮。

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この辺りに乱暴な神様がいて、往来する人々を苦しめていた。
景行天皇が訪れた際、櫛田大神を祀りなごめると、平和で幸福な地域になった。
そのことから、神幸、転じて神埼という地名に。

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御朱印
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長崎街道 神埼宿だったんだね。
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旧古賀銀行神崎支店 モダンな建物。
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ちょっと歩いただけで、いろいろ発見。
歩いてみるもんだね。




# by tikuzenootomo | 2023-10-15 16:32 | ご朱印の旅 | Comments(2)
中津城は何度か行ったお城。
御城印は天守で購入できました。
何種類かありましたが、黒田官兵衛バージョンにしました115.png
奥平神社さんの御朱印も一緒に購入。

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1588年 黒田官兵衛が築城。黒田時代の石垣は福岡県上毛郡にある唐原山城(神籠石)の石垣が使われているとか。
1600年 細川忠興が入封。城の改修や城下町を整備。細川時代の石垣は自然石を使用。
1632年 小笠原長次入封。小倉、杵築、宇佐、中津と小笠原一族が豊前一帯を治めていた。
1717年 奥平昌成入封。明治維新まで続く。

中津城敷地内には神社が沢山あった。
中津大神宮。中津神社。城井神社。扇城神社。
神主さんが優しかった^^
中津大神宮は「豊前の国のお伊勢様」と呼ばれているそうな。
御城印の旅 中津城・角牟礼城伐株山城・鞠智城_b0282042_17291986.jpg
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   城井神社
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1705年 小笠原長円が小社を建て城井大権現として崇め、変遷をへて城井神社と改めたとあるが、
中津大神宮の資料によると、黒田長政は深く感ずるところがあって城内に社を建て城井大明神として鎮房公の霊を祀ったと
書かれていた。
宇都宮家との戦いで敗走した長政は、だまし討ちで鎮房を打ち取ることに納得してなかったのかもしれない。
細川さんも中津じゃなくて小倉城を大改修して本拠地にしたり、小笠原家も悪政や乱行が続いたりと、何かがあったから
お社を建てたんだろうか…とちょっと思ってしまうな。。合掌。

玖珠へ向かいます。

角牟礼城は標高577mの角埋山に造られた山城です。
1280年頃、森朝通が築城。
今でもそうですが、豊前から玖珠へ道が通っています。交通の要衝だったのです。
以前、角牟礼城へは登りましたので、今回はお城印を求めて豊後森藩資料館を訪ねたのですが休館日でした^^;
休館日に対応してるのが、くすまちメルサンホールというとこ。
代表電話番号でナビ検索して行ってみると、役場だった^^;
役場で訪ねたが、土地勘がなくよくわからない、役場がどの位置で、今どこに自分はいるのだろうか。。状態。
でも丁寧に教えてくれました。ありがとうございました。
機関車があるあの基地のとこにありました。
敗因は、中津から来てしまったので、方向が理解できてなかったことかな。
福岡からなら迷わなかったかもね^^;
そんなこんなで無事メルサンホールでお城印とスタンプゲットだぜっ。

伐株山城は伐株山山頂に築かれた山城だそうで、最近知りました。
南北朝時代は、南朝方と北朝方で同郷の武士たちが分かれて戦ったとか、
朽網親満の乱の合戦場だとか歴史がありますね。
あの特徴のある山はグライダー基地でも有名ですね。
また今度訪ねることにした。
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熊本の菊池へ向かいます。

くじゅうで見つけたお花。可愛い。
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なんて花名かな・・・・・
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鞠智城のシンボル八角形鼓楼。

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久し振りにきましたが、色々と見学できる場所が増えていた。

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白村江の戦で日本が負けて防備のために九州各地に城が造られたが、鞠智城は有明海からの侵攻に備えた城。
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土塁の跡とか歩いてみたかったけど、暑くて断念しました。
散策路、広そうです。

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お城印とスタンプは歴史公園鞠智城・温故創生館で頂きました。
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バタバタだったけど、楽しんで御城印とスタンプ集めできました。

多分、つづく。

# by tikuzenootomo | 2023-10-12 09:23 | 戦国のたび | Comments(0)
延岡城から始まって、杵築城へたどり着きました。
ここから登城するのは初めてだな。
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そういえばカブトガニ生息地だったね。
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2019年に国史跡に指定。
良かったね。
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模擬天守とはいえ、海に向かって建っているから目立つよね。
あっ杵築!って思うしカッコイイ。

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松平家の家紋。
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御城印は天守内で購入できました。
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杵築城(木付城)は木付頼直が1393年に築城。
頼直は木付当主4代目で、それ以前は少し内陸にある竹ノ尾城を本拠地としていたとか。
元々、木付氏は大友の一族で、大友2代当主の親秀の6男 親重が八坂郷木付荘に入部し、地名の木付を姓としたことから始まっている。
また、親重は蒙古襲来の時にも活躍した武人だそうです。
戦国時代は島津軍の北上による猛攻にも屈せず、2か月も籠城し木付城を守り切った。
が、しかし文禄の役で朝鮮から帰国途中の門司で、大友改易を聞き、17代統直は入水自害を。
統直は朝鮮で息子も亡くしての帰国だった。
悲報を聞いた父親の16代鎮直は妻と共に木付城で自害した。
17代 344年続いた木付氏の滅亡。

その後の城主は、
前田氏→杉原氏→細川氏→小笠原氏→松平氏。
細川忠興は1598年、豊後国木付6万石が加増された。木付城には城代を置いていた。
1600年39万石で中津へやってくる。
また、最初に派遣されたのは、毛利重政で木付城で病死と書かれた記述がありました。

日出城へ向かった。
既に夕方だったけど、二の丸館の営業時間内に間に合った。。
以前、日出城跡はゆっくり周ったからいいかと、館内でゆっくりしてしまった^^;
ソフトクリームで休憩。
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クッキーももらって食べたら、日出にある修道院で作っていると知った。
素朴で美味しかったのと、修道院に興味が湧き、次の日行ってみることにした。

日出城の御城印は二の丸館で購入できました。
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日出城は豊臣秀吉の正室ねねの甥にあたる木下延俊が1601年に入封し築城。
以来、16代270年の長きにわたり統治してきました。
それ以前は大友氏が統治してきました。
大友時代は大神氏の拠点でした。
今でも名残がありますね。
大神駅・大神漁港・大神ファーム。。。鹿鳴越連山の古城山・真嶽城も大友氏の山城だ。

木下氏がやってくるまでは幕府の直轄地で、毛利重政が城代をしていた。
木付と日出、掛持ちしてた?
この方はキリシタンだったらしいよ。
毛利重政は森重政ですね。弟は佐伯藩初代の毛利高政=森高政。
兄の重政は慶長の役で朝鮮で病死?木付城で病死?
嫡男の重次は4歳だったため家督相続することができなかった。
ということらしいです。
重次は流浪の末、豊臣秀頼に仕えることで落ち着いたようですが・・・

木付と日出、直轄地時代はよくわからないね。

日出城は暘谷城ともいうが、
暘谷城の御城印もあった。但し、神社とお寺合わせて6か所巡ってきた人へ向けての販売だった。
以前、訪ねた神社やお寺が含まれていた。
なんだかな。。
あと、日曜日の夜はごはん食べるとこが少ない^^;

大分トラピスト修道院
トラピストとは厳律シトー修道会のことらしくローマ・カトリック教会に属する修道会のひとつ。
別府湾を一望する丘の上にある。

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観光バスが停められる広い駐車場もあった。
いいところですね♪
巡礼の道の案内がありました。
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こんな観光スポットもありましたよ^^
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日本で初のトラピスト修道院は北海道だそうです。
また男子修道院は北海道と、ここ日出町だけだそうです。
そういえば鹿鳴越連山にはザビエルの歩いた道がありましたね。

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クッキー工場と売店がありました。
クッキーを沢山買って帰りました♪

アフリカンサファリを通り過ぎて、更に山道を行くと案内が出てきます。
日出というよりは安心院に近い。
自衛隊の敷地を示す案内などもありました。十文字原演習場だろう。
十文字原っていうか扇山が見えたし。

御城印の旅 つづく。



# by tikuzenootomo | 2023-10-06 14:21 | 戦国のたび | Comments(0)
やっと秋の気配なのかな・・朝は涼しくなったので低山へ。
福岡県糟屋郡久山町にある白山。
中世は、須良山とか首羅山と呼ばれていたそうです。

首羅山に関しては、凄い由来があった。
  天平年間に白山権現が虎に乗って、百済からこの山に降り立った。
  乗り捨てられた虎に村人は恐れを抱き、虎の首をはねた。
  はねた首が光った。
  その首を羅物(薄絹)に包んで十一面観音を祀った。
  そこから首羅山と呼ばれるようになった、と。

  天平年間は729年~749年 聖武天皇の代。
  東大寺を建立し大仏を造りました。
  鎮護国家を目指しましたね。
  協力したのは宇佐神宮八幡神。
  興味深い。

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白山神社登山口からスタート。
白山(首羅山) 福岡久山町_b0282042_18323615.jpg
昔は山頂付近にあったとか。
現在地に下りてきたのは昭和初期ごろのようです。
白山(首羅山) 福岡久山町_b0282042_18353291.jpg
白山(首羅山) 福岡久山町_b0282042_18354609.jpg
御朱印も頂けます。
印を自分で押します。
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登山道を調べていた時に国史跡だと知りました。
知らない事って多いね。
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登山道の横は霊園でした。お彼岸だったから人がちらほら見えました。
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少し歩くと、城跡のような平坦な場所へ出てきました。
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平安時代後期から鎌倉時代にかけて栄えた山寺があり、350坊もあったそうです。
ここも霊山だったということでしょうね。
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ここから近い篠栗や若杉にも坊はあったと思うが、
先日行った太宰府の観世音寺や戒壇院があるので、
周辺にお坊さんが多く滞在してたのかもしれないな??

少し険しくなっていく。
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見晴らし良いとこに出てきた。
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若杉山や背振山系が見えた。

休憩して更に登る。
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上った先は道路だった。
ここを少し下っていく。
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案内が出てくる。
黄色のテープの地区は現在、整備中。
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再び山道へ。
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すると長い階段が出現した。
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石組??
っていうとこへ上がってきました。
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城跡みたいに開けて平坦地に到着。
博多湾が見えてる。
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ベンチある。
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鎌倉時代の石段。66段あるそうです。
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周りこんで上がってみる。
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ピークに上がってきた。262.1m
今度は上から階段を見てみる。
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ピークに祠があった。
確かに珍しい石像でした。
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ここが山頂でも良い気がするが。。
先へ進む。
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少し下ってまた上ると、
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白山 着きました。288.8m。
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見晴らしは良いです^^
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三角点がありました♪♪
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🍙持って、のんびり、2時間ぐらいでしょうか。
これからの季節にピッタリかもです。

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追記
白山神社について。
全国にあるそうです。知らなかった^^;
総本山は石川県の白山比咩神社。
ご祭神は菊理媛尊(くくりひめのみこと)
僧の泰澄という人が白山を開山。717年。
そこから白山信仰というのが修験者によって
全国に広まった。
白山信仰とは水への感謝、水を運んでくれる山への感謝
ということなのかな。
久山町の白山神社はというと、以前のご祭神が菊理媛尊だったそうだ。
神紋は総本山と同じだ。
現在のご祭神は五十猛命。林業の神様。


# by tikuzenootomo | 2023-09-30 13:35 | 登山 | Comments(2)