11月の終わりでした。低山の季節です^^
鎮西山へようこそだったかな、、案内を見るたびに気になってました。
案内通りに行くと、広場があり車が停められた。
登山口までちょっと歩くと、そこにも何台か置ける駐車場があり、横に道路が延びており山頂近くまで
車で行けます。
鎮西山は城跡でもありまして、名前の由来が鎮西八郎こと源為朝が城を築いたので鎮西山らしい。
ですが、これは伝説です。
ここへ向かう途中の交差点名が屋形原で、館を構えていたとか、これも伝説です。
為朝伝説は九州にはあちこちありますね^^
登山道はとても整備されています。
鎮西山へようこそだったかな、、案内を見るたびに気になってました。
案内通りに行くと、広場があり車が停められた。
登山口までちょっと歩くと、そこにも何台か置ける駐車場があり、横に道路が延びており山頂近くまで
車で行けます。
ですが、これは伝説です。
ここへ向かう途中の交差点名が屋形原で、館を構えていたとか、これも伝説です。
為朝伝説は九州にはあちこちありますね^^
登山道はとても整備されています。
時々道路に出ます。
もみじ谷へ周ってみた。
凄く綺麗でした^^
今度は展望台が見えてきました。
展望台の屋根が瓦です。珍しいですヨネ。。
城跡らしい遺構です。
30分程で山頂です。
広いですね。
山頂の休憩所の屋根はお宮みたいでした。
三角点が、つつじの木の中~標高202mです。
散策休憩して下山します。
キャンプ場に下りてきました。
五万ヶ池とういう池がありました。ここにも伝説。
為朝討伐軍5万騎が攻めてきたが打ち取られて、池が血に染まったとか。。。
5万って、、、
広い駐車場がありました。トイレも。
ここまで車で来たら、山頂はすぐです。周辺散策するなら、ここに車停めてもいいかも。
古墳とか、いろいろみるとこあるんだよね。
ここから、鷹取山の時行けなかった、綾部神社へ向かいました。
風の神様を祀る神社です。
駐車場がわからなくて、、ぼたもちやさんでぼたもち買って、了解得て駐車させてもらいました。
綾部のぼたもちは名物でした。
鎌倉時代、源頼朝に従軍し奥州征伐で戦功をあげた四郎太夫通俊が凱旋の時の戦勝の祝いもちというから
歴史がありますね。素朴で美味しかったです~縁起がいいそうなんです。
神主さんがお留守で御朱印はいただけませんでした~残念~
しかし、銀杏が美しい神社でした。
神社裏手から山へ向かって道が延びています。
土塁の上に綾部城址石碑がありました。
供養塔もありました。
さらに登って見下ろしてみると。
登りつめると、祠でしょうか、三角点もありました。
宮山と呼ばれてるところでしょうか。
この辺りには山城跡が多いようで、総称して綾部城と言ったりするようです。
標高127m。
九州探題の渋川氏など、一色氏、今川氏、筑紫氏も居城としてたのかな。重要拠点だったようです。
戦国時代で名を知られてるのは、綾部鎮幸。四郎太夫通俊(藤原)の子孫のようです。
鎮幸は龍造寺氏の配下だったようです。
展望台の屋根が瓦です。珍しいですヨネ。。
広いですね。
キャンプ場に下りてきました。
五万ヶ池とういう池がありました。ここにも伝説。
為朝討伐軍5万騎が攻めてきたが打ち取られて、池が血に染まったとか。。。
5万って、、、
ここまで車で来たら、山頂はすぐです。周辺散策するなら、ここに車停めてもいいかも。
古墳とか、いろいろみるとこあるんだよね。
風の神様を祀る神社です。
綾部のぼたもちは名物でした。
鎌倉時代、源頼朝に従軍し奥州征伐で戦功をあげた四郎太夫通俊が凱旋の時の戦勝の祝いもちというから
歴史がありますね。素朴で美味しかったです~縁起がいいそうなんです。
しかし、銀杏が美しい神社でした。
神社裏手から山へ向かって道が延びています。
供養塔もありました。
さらに登って見下ろしてみると。
宮山と呼ばれてるところでしょうか。
標高127m。
九州探題の渋川氏など、一色氏、今川氏、筑紫氏も居城としてたのかな。重要拠点だったようです。
戦国時代で名を知られてるのは、綾部鎮幸。四郎太夫通俊(藤原)の子孫のようです。
鎮幸は龍造寺氏の配下だったようです。
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by tikuzenootomo
| 2016-12-03 02:24
| 登山
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Comments(2)