存在は知っていたんだけど、平城で特に何もないと思っていたから、ついつい行きそびれていた。。。

一段盛り上がってる所があった。建物跡でしょうか。 
館から見た風景
周囲は堀です 

菊池氏の分流の姉川氏が代々守ってきた姉川城は13世紀前半代~17世紀まで機能していたそうです。姉川氏は転封でここを去ったようだ。
館を出て別の島へいってみた。


泉水は入り江のことらしい 
ツグミがいた
この辺りが奥館かな






次は姉川城からも近い横武城です。横武城はクリーク公園として整備されています。こちらも、水路を巡らせたお城跡です。 

横武城主の横武氏は少弐氏の一族。大宰府を本拠地としていました。元寇でも活躍しましたね。大宰府の横岳に住んでいた一族が横武氏を名乗ったことから始まるようだ。そういえば大宰府に横岳ってあったなあ。少弐貞頼の次男の頼房が横武氏の祖ということらしいです。
綺麗に整備された公園です。

こういう造りを環濠集落というそうです。姉川城も同じ。館を中心に農村集落も囲んでしまう造り。くど造り(上空から見るとコの字になっているそうです)とよばれる民家が復元されていました。

一階の土間に台所があって、台所からすぐ外に出ると水路というようになっていました。農家の家を復元。資料としては貴重なのかもしれないが、せっかくの城跡、城跡ファンとしては、館を復元してほしかったかな~と個人的に思います。
横武氏の本城は、みやき町にあった西島城らしいのですが、その西島城は、平安鎌倉の豪族だった西島氏が築城し、その後整備した西島城に横武氏が入り本城としたようです。また、西島城も、堀を利用した城だったそうですが、遺構はあまり残っていない模様です。近くに西乃宮八幡宮がありますが、当時は城内にあったそうです。
横武城はどういう役割の城だったのかは分かりません。龍造寺氏に対抗するための城だったのかもしれないし、そうでなかったかもしれない。少弐氏は勢福寺城の戦いで龍造寺氏に滅ぼされてしまいましたが、横武氏は龍造寺、鍋島家で生き延びていきました。家を存続させるのは大変です。
佐賀平野にはお城跡がいっぱいあります。また探して行ってみたいと思います。
姉川城。1360年菊池武安により築城。室町時代ですね。南北朝にわかれてました。菊池氏は南朝方でしたね。周囲を掘りに囲まれ大小の島で構成されているお城。つまり水城ってことかな。最大規模の島は館(たち)と呼ばれていて、ここを中心に小路屋敷、妙法寺、観世音寺、奥館、などと呼ばれてる島があったそうです。















奥館から見える館











帰り道、道路を横断する鳥を発見。慌てて撮影。。。^^;
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by tikuzenootomo
| 2026-03-12 13:19
| 戦国のたび
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