犬鳴ダムから縦走
2018年 05月 03日
GWは半分は仕事、そんな中、合間の休みを利用して、福岡県宮若市にある犬鳴ダムを囲む山々を歩いてきました。
司書橋を渡り道路歩きです。
江戸末期、福岡藩家老 加藤司書が造らせた御別館が、ダムにそそぐ犬鳴川源流近くにあるそうです。
ここの館は、福岡城が外国から攻められた時、藩主を避難させるために造らせたらしいが一方で、藩主を幽閉するためともいわれているらしい。
福岡藩も、長州薩摩に挟まれてる土地柄ですし、軍備強化のため鉄を犬鳴で作っていたとか、ここは大事な拠点であったのでしょう。
藩主は、薩摩からきた養子さんだったと思うが、どうして幕府側だったのだろうか。。個人的に思います。
結局、幕府は倒れて、志半ばで切腹させられた加藤司書。秋月藩もだけど福岡藩は大切な人材をなくしたようだ。
ダム沿いを10分ぐらいかな歩きますと、登山口です。
いきなりグイグイ登りが続きます。
30分ほど黙々と歩くと、日差しで明るい、1つ目の鉄塔です。
再び森の中、自然林で鳥の声もよく響いてますが、森が深くて姿は見えない^^;
堀切っぽいな。
池になってる。水場から離れてたとこを歩いているから、ここは動物のオアシスかもしれないぞ((´∀`))
2つ目鉄塔。側を林道が走ってた。ここの下、新幹線トンネルの上です。
ヘビにやっぱり会った( ゚Д゚) 芝生に開いてる穴に潜っていっていた。。大きかった。。。びっくりした(;'∀')
一上りすると最初の岳 脇田岳に到着。
林道がまだ見えている。
またヘビ~~2匹目。
鉄塔横を過ぎていくと、2つ目の岳、御別館岳。
御別館岳付近で、道、間違えた^^;
案内見落としてた。司書橋に下ってた。
ホントはこっち。
ここが、御別館跡へ行く分岐かな。
また鉄塔見えてきた。
3つ目の岳、草場岳。
敷地を抜けさせてもらうと、4つ目の岳、往来岳。
そして、辰のヘラ分岐。ヘラは平なのだろう。
歩いていくと、鉄塔。
景色がいいとこですが、日差しが暑い日でした。
今度は、馬口谷分岐。
よしきた!西山(鮎坂山)!
こもの峠へ向かいます、 険しくなっていく。。大木です。
こもの峠着いた。ごはん休憩です。
こもの郡の国人領主 こものさんのふるさとだろうか。城跡は公園になっているのだったかな。
薦野増時は戦国時代は道雪の部下で、道雪がなくなると宗茂に従った。宗茂が改易になると黒田家の配下になった。
増時死後は道雪が眠る横で梅岳寺で眠っている。
大体ここが折り返しだろうか、犬鳴山へ向け出発しました。
岳じゃなかった、砥石山。
尾根が切れてるように見えるけど^^;
平たい場所があったので、ここが番兵跡かと思ったら、下りた先だった。
番兵跡は御別館を守るためにあったのだろう。
上から見ると、意外と広場。
西山からこっちは岳じゃないなあ~高揚山。
御別館跡分岐 御別館へ下りられる道多いです。
おお~鉄塔、久しいの。
鹿見分岐
椿峠
激下り!枯れ葉でズルズル滑る~~~!!!
春リンドウ♪踏まれないようにね。
ひたすら歩く。
椿峠から約1時間で猪野越に着いた。途中ピークがひとつあった。
山裾を歩きながら、また一つピークを越えるのだ~
少し急いだこともあって、猪野越から30分程で林道に下りてきた。林道から犬鳴山への上りが続いている。
よっしゃー!犬鳴山だあ~!
着きました!
犬鳴山は熊ヶ城という城跡です。
戦国時代は宗像氏の端城で、大友氏もここを侵攻しているそうです。
毛利が立花城を攻める際に、ここ熊ヶ峯を通って行ってたそうなので、軍事拠点だったのでしょう。
西側に立花が見えていて、曲輪も立花が見えるように造られているそうだ。立花勢侵攻を防ぐためだったらしい。
畝状の堅堀など遺構があるらしいがルートからは外れているのかな?
ダムへ帰るぞ~~~
が、ここからのルートが意外と険しかった(>_<) さすがは、山城跡です。
激下りは、疲れている足に堪えます。。。
ちょっとここは広いかも。曲輪っぽいがわからない^^;
ここは土塁っぽいな。
城跡から登山口まで約50分、1時間近くかかっていた。
道路歩きでダムへ戻ります。
ダムを囲んでる山々。あそこを歩いたんだね。
自然林が多く日差しがあまりなくて、いい山歩きだった。でもヘビには3回(写真は2回だけど)も会ったけど^^;
ルートが沢山あって案内板も沢山ある。よく確認して歩いて欲しい。案内板がないと、ここは迷う。有難い限りです。
上ったり下ったり、上ったり下ったり・・・8時間40分ほどの山旅でした~疲れた~
by tikuzenootomo
| 2018-05-03 14:32
| 登山
|
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